キノくまの人生ブログ

これまでの体験を書いていきます

放課後児童クラブと食事の話

年下にいじめられやすい

私が放課後児童クラブを初めて経験したのは、記憶が曖昧だが小学校4,5年生の時だったと思う。

その年に、私の小学校内で初めて放課後児童クラブができた

祖父しか保護者&働く人がいなかったので、さっそく私は預けられた。

初日、緊張しながら部屋に入ると、まずは宿題をすることになった。

私は自分の宿題を進めながら、周りの様子を窺った。

みんなそれぞれの勉強を大人しくしていた。

こういう雰囲気なら祖父が仕事を終えるまで待てそうだ。

宿題タイムの後、おやつの時間になった。

一人ひとりにおやつが配られる。

その日のラインナップのすべては覚えてないが、一つ覚えている。そう、かた焼きせんべいだ。

私がそれを食べている時、下級生の男子が近寄ってきた。

食べるの遅くない?

初対面の上級生の私に対していきなりそう言ってきた。

初めて人から食べている速度をバカにされた

私は何も言い返せなかった。

年下に面白可笑しく馬鹿にされて悔しかった。

だが、当時の私は言われたい放題だった。

相手は複数の男子になり(みんな年下)、私は爆発。

もうこんなところ通ってられるか!

私は祖父に直談判した。

こんなところにいるくらいなら、家で一人お留守番している方がマシだ!!

祖父の仕事が終わるまで家で待っていたいと力説したが、心配性なので祖父は聞く耳を持たない。

移動

初日と同じく、また小言を下級生の男子から言われた。

耐えられなかった

この状況を改めて祖父に言った後は、二度とあそこには行かなくなった

だが、しばらくして祖父が他の小学校の放課後児童クラブに申し込んだ。

絶望した

周りに知っている人が一人もいない学校で数時間過ごさなければいけないというのは、かなりキツイことだ。

初日は祖父と二人で小学校(A小とする)に向かった。

チャイムを鳴らして、中から人が出てくるのを待つ時間はとても緊張した。

出てきたのはA小の教員だった。

放課後児童クラブの部屋に通されて祖父と別れた。

中には小学生が10人ほど。

よそ者を見るような目は自分の緊張をより大きくした

おやつの時間とのことだったので、自分も机の端の方に座り食べ始めた。

しばらくして、周りと自分の食べるスピードが違うことに気づく。

嫌な予感がしたとたん

おそっ、早く食べろよ

男子に囲まれていた

私は言葉を失った。完全にデジャブだ。

泣きそうになりながら頑張って完食したが、他のみんなは早く遊びたがってイライラだ。

ここでは全員が食べ終わってから遊べることになっているので、最後の自分は責任が大きい

今すぐに小学校を飛び出したかったが、家からはかなり距離がある。

その後、祖父が迎えにくるまで体育館の小さい窓をずっと見つめて過ごした。

 

結局そこも2、3回行ったきりだ。

このような過去があるので、私は誰かと食事をするのが苦手だ。

今でも私は食べるスピードが遅い。

相手が先に食べ終わって自分だけが食べているという状況が嫌で仕方ないのだ

なので、外食をする時はほとんど一人(そもそも友達がいない)だが、とても気楽だし味わって食べることができる

さいころのトラウマはとても影響が大きい

大人になって苦しんでいる人も少なくないと思う。

私は食事以外にもトラウマがあるが、気絶してしまうレベルのものだと、さすがに周りをびっくりさせてしまう。

克服するのはかなり難しいことだと思う。

もう少し生きやすくなりたいと願う。

 

 

 

キノくま

不登校の理由3

ぼっち

不登校の理由3つ目は、簡単に言うと友達がいなかったことだ。

同じ小学校だったクラスメイトは全員、他の小学校の人たちと意気投合し私と仲のいいクラスメイトは存在しなかった

教室を移動する時、授業中にペアを作る時、登下校の時、、、

不便だなと思うと同時に、寂しさも感じていた。

いじめられているわけではないので、本当にただのぼっちポジションだった。

こうなった理由を予想してみると、愛想がなかったことだろう。

私は無意識に不機嫌な表情&態度をとっているらしい。

これは10代後半になって、他人から言われたことで発覚した。

気付いたときに鏡を見る癖をつけた結果、ほぼ口角が下がっているのだ。

その時の私の表情は確かに不機嫌だ。

態度に関しては、ぼっちの不安や心細さを隠そうとしたら、つんつんした態度をとりがちなのだ。

自分では本当に無意識なので、決して冷たい人間ではないと思う。

仲良くなった女友達に、こう言われたことがある。

「キノくまちゃんって、第一印象と全然違うよね!最初からその性格出していけばいいのに!」

出せたら出している、、、

ありのままの自分で関わっていきたいが、人見知りが邪魔をしてくるのだ。

私の本来の性格は、すぐにふざけるし、よく笑う

その性格が人見知りによって、完全にひっくり返されてしまう。

これには現在進行形で悩まされている。

もう自分の努力次第だと思うが、未だ改善せず。

克服日記を書いてもいいかなとふと思ったが、本当にふと思っただけだ。

 

転機

不登校になる約1か月前だったか…

放課後、私は普段通り一人で帰る準備をしていた。

すると、副学級委員の女の子が私に近づいて手紙を差し出してきた。

突然のことで私は受け取りながら

「くぁwせdrftgy」

例によってわけの分からないリアクションをしながら受け取った。

そわそわしながら帰宅し、手紙を開いてみると

『キノくまちゃんへ

いきなり手紙かいてごめんね

私、キノくまちゃんと全然話したことないから

ちょっと気まずいかな?

で…キノくまちゃん、いつも一人だからちょっと仲良くしたいなと思って!

よかったら今度からいっしょにいようよ!!

                  ミキ(仮名)』

実物をまだ保存してあるので、少し変えながらだが書くことにした。

著作権が、、とミキちゃんが訴えたらすぐに削除いたします。

年季が入っているので少し汚いが、実物は今も保存してある。

衝撃が走った。

正直、副学級委員のミキちゃんは絶対に私のことは眼中にないと思っていたので夢かと思った(いや、本当に

こんなありがたいことはないので、さっそく返事を書くことにした。

だが、なかなか納得したものが書けずに、何枚も書いたのちにやっと完成した。

※ここで言っておくが、失敗したおよそ10通の手紙はすべて同じ折り方で積み上げてあり、完成した手紙もまったく同じ折り方にしていた。

 

再び放課後

私は、ミキちゃんが放課後に手紙を渡してくれたことにならい、返事を放課後に渡すことにした。

放課後になり、暴れる心臓をなだめながらミキちゃんに手紙を渡した。

クールに受けっとてもらい、翌日からの楽しい学校生活を妄想しまくった。

 

そして翌日、私はワクワクしながら登校した。

    だが、その日は普段とまったく変わらない一日だった。

おかしい。私は確実に喜んでいる気持ちを前面に出した手紙を渡したはずだ。

もしかして?私は失敗した手紙を渡してしまったのではないか?

実は、失敗した手紙は見た目は完成したものと変わらないが、中身は乱雑に線を引きまくっているのだ(失敗したーーー!という気持ちであちこちに

もしかして、その汚い失敗した手紙を渡してしまったのでは?

手紙を開けてみたら、あちこちに汚い線が引いてあるとんでもない手紙を見たミキちゃんの気持ちは…?

一瞬で目の前が真っ暗になった。

これは恥ずかしい。もう顔を合わせられない…

どんどんネガティブな感情が湧いて学校に向かう足取りが重くなった。

 

振り返り

他者から見れば、しょうもないことだと思うかもしれないが、当時の中学生には地球がひっくり返るほどの一大事だった。

ミキちゃんと顔を合わせることが苦痛になり、そもそも手紙で返事をするという回りくどいことをせずに直接話しかければよかったという後悔が襲い、私のメンタルは死んでしまった。

このことは今でも心に引っかかっている

あの時、直接話しかけて仲良くなることができていれば、私の中学校生活は変わっていたかもしれない。(変わっていなかったかもしれない(ネガティブすぎ))

過ぎたことはしょうがないと割り切る性格だが、このことは特に頭から離れないままだ。

今、ミキちゃんに聞きたいことは

あの時の手紙はどんなことが書かれていましたか

かな?

 

 

一応、簡単に私が中学校の時に不登校になった理由を書きました。

途中からお酒を飲んで書いているので、変なところがあったら、申し訳ございません(今も酔っている)

次回は児童養護施設の初日のことを書こうかなと思っています。

よろしくお願いします。

 

 

キノくま

不登校の理由2

荒れた環境

引き続き、私の不登校の理由を書いていこうと思う。

私の入学した中学校は、治安があまり良くなかった。

敷地内にタバコの吸い殻が落ちているのは当たり前、自転車の改造や、制服の着崩し、授業のさぼり、、、

一番印象に残っているのは放火だ。

入学してまだ日が浅かったと思う。

私たちは普通に教室で授業を受けていた。

すると、突然放送が入った。

「給食室から煙が出ています。確認中ですので、皆さんはその場から動かないでください」

かなり慌てている様子で教員が話していた。

私たちの教室は給食室の斜め上の位置で風下だったので、ほどなくして煙が窓の外に現れた。

すぐに、クラス中がざわざわとして授業どころではなくなった。

みんなが窓に顔を押し付けて興味を全身から放っていた

そして

「〇〇先生の車が燃えている!(ガタガタガタガタッ)」

パニックになっているのか、かなり騒がしい。

どうやら、給食室の近くにある教員用の駐車場の車に火が移ってしまったらしい。

教室の中が興奮に包まれた

「まじかよ」「すげえ」「煙すごいぞ」

私も興味が湧いて窓に近づいてみた。

たしかに煙がすごい。たぶんもう少し身を乗り出せば火も見えただろう。

車が燃えているらしい音もかすかにする。

自分の中学校でこんなことが起きるなんて、、、

 

その後は消防車が消火活動をして、落ち着いたころに生徒は全員下校となった。

放火した人物は学校の生徒なのか、関係者なのか判明しなかった。

隣の席のH君

教室の席替えはなんとなく、そわそわしてしまう。

隣の席は誰になるんだろう、前の方だったら嫌だなぁなどと思いながらクジを引く。

隣は、、、またH君だ

H君は3年生のお兄さんがいて、そのお兄さんは校内で有名な人らしい(いい意味ではない

そのせいか、H君は態度が大胆なのだ。

常に自分の周りに子分を従えて、全員を見下す。

当然、いじめにも積極的に関わっていた。

そのH君と私は席替えをするたびに、隣の席か近くの席になってしまうのだ。

夏が近づいて、みんなが下敷きをうちわ代わりにし始めた頃…

隣のH君が下敷きを貸してほしいと言ってきた。

私はなんとなく予備のような感覚で、下敷きを3枚は常に持っていたので、H君に貸した。

すぐに、うちわ代わりにしてその日は全ての授業が終わると返してくれた

次の日、また貸してほしいと言われたので、また私はH君に下敷きを貸した。

しかしその日は返ってこなかった。少しむっとしたが、予備があるのでそんなに気にしなかった。

また次の日、H君に下敷きを貸した。昨日の下敷きのことを聞きたかったが、臆病な自分は目立つ人間に話しかけることができない。

その日も返してくれず、ふと教室の後ろを見ると私の下敷きがホコリまみれになって落ちていた。

ショックだった。人のものをこんな風に扱うことができるのか。

もう拾う気が起きなくて知らないふりをした。

当然、下敷きは減ってしまうので3日に1回くらいのペースで祖父に買ってもらっていたが

祖父「さすがに買いすぎだ。おかしいぞ」

おかしいのは私が一番よく分かっている。

でも本当のことを言うのは面倒くさい。

私「こっちにも事情があるの。ごめんね」

うまい返しが思いつかなかった。祖父に申し訳なかった。

 

下敷きもそうだが、H君の普段の態度も私の心を削っていった。

サキちゃんへのいじめを中心に、教室では好き放題だった。

教室の居心地がとても悪く、登校する気がだんだん減ってきた。

しだいに遅刻や早退、欠席が増えていき、教室に入りづらくなってしまった。

居心地が悪いところにわざわざ自分から行くことの意味が理解できなかった

 

今回は不登校の理由2つ目を書きました。

また続きを書きます。

 

 

キノくま

不登校の理由1

初日

今から約12年前、小学校を卒業した私は地元の公立中学校に入学した。

今まで15人に満たない人数の教室で学んできた私だったが、中学校に入学したことで、およそ10倍の同学年たちに気後れした。

入学式が終わって、全員が教室に戻り下校となった時・・・

周りの人たちが友達を作り始めた。

人見知りが激しい私はその空気が耐えられずに帰ろうとしたのだが、一人の女の子(サキちゃんとする)が話しかけてきた。

サキちゃん「サキです。よろしくね!」

突然話しかけられたので

私「くぁwせdrft

動揺して訳の分からない言葉を発しながらうなずくことしかできなかった。

サキちゃん「明日から仲良くしてね~」

私のおかしな様子を気にすることもなく、友達になってくれた

2日目

朝、登校すると同じ小学校のクラスメイトが私に話しかけてきた

A「キノくま!昨日サキって人に話しかけられてたよね?」

なんだか、詰められている感覚がした。

私「うん、向こうから話しかけてくれて嬉しかったよー」

A「あのさ…言いにくいんだけど、あの子と関わらない方がいいよ

一瞬言われたことの意味がわからなかった。

サキちゃんは一体何者なのだ

A「あの子、小学校の頃からずっといじめられてきたんだって。だから、仲良くしてるとキノくまもまずいよ?」

衝撃だった。

いじめられてた人間が、あんなに明るく他人に話しかけることができるだろうか?

私は半信半疑だった。

 

授業が始まって話は終わったが、頭はサキちゃんのことでいっぱいだった。

本当にいじめられていたのか。そうだとして、中学生になってもいじめられ続けるのだろうか。

そうしているうちに掃除の時間になった。

私の掃除班が教室に戻ると、サキちゃんの席を数人がちらちらと見ていた。

みんな、サキちゃんと同じ小学校の人たちだ。

なんとなく嫌な予感がしながら様子をうかがっていると

ゴミをちりとりで集めた男子がそれを持ちながらサキちゃんの席に近づいていく。

そして机の下へ、普通にゴミ箱へゴミを捨てるかのようにちりとりの中のゴミを全て捨てたのだ。

何人かが笑っている。ほとんどが男子だ。女子も声を抑えながら笑っている。

とんでもないクラスだ。一瞬で中学校が地獄になった。

3日目

サキちゃんに話しかけられた。

教室を一緒に移動しないかと誘われたが、断ってしまった

クラスメイトAから言われたこと、掃除の時に見てしまったことが気になり関わらないようにしてしまった。

だが、サキちゃんには一緒に行動する子が他にいたようだ。

おそらく同じ小学校だったのだろう。小さないたずらなどを見ても気にしていないようだった。

一番多かったのが、消しゴムを小さくちぎって投げつける行為だった。

あれは見ていてとても気分が悪かった。

一番印象に残っているのが、入口を閉めてしまう行為。

外での体育の授業が終わってみんなが校舎に入る時、目立っていた男子が、

「みんな早く入れ!」

とみんなを急いで校舎に入らせた。

後ろを気にしていたので、私も振り返ると、まだ何も気づいていないサキちゃんとその友達がこっちに向かってきていた。

「閉めるからみんな入って!」

再び男子の指令。

強いものに対抗する力がない私は言われるままに校舎に入った。

男子数人が笑いながら扉の鍵を閉めていく

それはやりすぎだ。胸が苦しくなって涙が出そうになった。

クラスメイトがどんどん教室に戻っていく。

私はその場から動けなかった

しばらくして、サキちゃんたちが扉を開けようとするが閉めてしまったので開かない。

私は誰も見ていないことを確認して鍵を開けた

なんだか気まずくて、何も言わずに先に教室に戻ったがあの時、何か言うべきだっただろうか。

 

教室にサキちゃんたちが入ってくるのをみんなは不思議そうに見ていた。

私に視線は来ていないので、私が開けたことは私とサキちゃんたち以外は知らないのだろう。

他にもいくつかひどいことはあるが、ここに書くのはこれくらいにしておこうと思う。

今も分からない

いじめはサキちゃんと同じ小学校の男子が中心になっていた。

なぜサキちゃんがこんなことをされるようになったのかは今も分からないままだ。

もっと私にできることがあったのだろうか。

当時、自分の部屋にこもって逃げることしかできなかった私にはなにもできなかったのか。

 

不登校の理由はこのことだけではないので、ほかの理由はまた次回書きます。

 

 

キノくま

高校の選び方

適当な進路選択

中学3年生の時に私は、地元の商業高校へ進学することを決めた。

理由はしょうもないものだったが、結果が良ければ過程は気にしない性格なので、こんな理由でもいいんじゃないかと個人的に思う。

最初は選択肢がいくつかあった

私は中学の時に不登校になったことがあり、その後ほかの中学に転校した。

空白期間があったり、もともと天才頭脳というわけでもないので、成績は中の下だった。

それでも3年生の夏前時点での進路の幅はそれなりにあった(周りには偏差値が高い所が少なかったこともある)

最初は恋愛がしたいという短絡的な考えで、ほぼ男子校状態の工業高校を目指そうとしていた。

だが、担任にその動機は絶対に言えない。

「この間の技術の成績が5で、その分野をもっと学びたいと思った」

実際は半田ごての授業がある学期しか5は取れていなかったが、表向きの動機はこんな感じだったと思う。

担任も賛成してくれたが、その後の成績が徐々に下がっていき工業高校はどっちに転んでもおかしくないと言われてしまう。

提案された商業高校

夏休みの三者面談で商業高校を担任から提案された。

こっちは逆に女子が多いので、恋愛は諦めた。とても悔しかった、、、

私の中で次に優先する条件が”水泳授業がない”ことだった。

私は極端に細くなく、太くなく。太いよりの普通体型というか。

とにかく中途半端で体型にコンプレックスを抱いていた。

私にとって水着を着用するということは、この世の終わりに等しいのだ。

担任に聞いてみた

私「この学校に水泳授業はありますか?

私の質問に担任が一瞬固まった。あの空気は忘れられない。

担任「正直わからないけど、学校のプールは使われてなかったような・・・」

私「じゃあそこにします」

本当にしょうもない理由だった

というわけで、私は水泳授業がないというだけで地元の商業高校に進学することに決めた。

いざ入学してみると確かに水泳授業はなかったし、商業科目の授業は自分に合っていた。恋愛ができなかったことは心残りだが、進路選択は間違えなかったと胸を張れる。

おそらく、世間の人は私のような選び方はしていないと思う(もしかしたら私より適当な人がいるかもしれない)

ちなみに、私たちの学年が入学する年の夏に全教室にエアコンが設置されるという話だったが、結果的に私たちが3年生になった時にやっと設置された。

そのうたい文句で入学した子もいた。

あれは詐欺だったと当時のクラスメイトはみんな文句を言っていたなぁ

 

 

キノくま

児童相談所の経験2

初日

私が一時保護所に入所した当時、女子が私しかいなかった

他の5,6人は全員男子だったので食事は多目的室には行かずに自室で一人で食べた。

 

一日中ひたすら部屋に籠って外から聞こえてくる男子の声を聞く日が続いた。

初日の夕方頃に学校終わりの弟も到着。

私は部屋から出られないので、顔は合わせず。

一人なのは平気だが、ネット依存に片足を突っ込んでいた私はパソコンに触れたくて仕方なかった。

初めて外に出た

1,2週間経つと急に男子の人数が減ってきたので、私は職員にすすめられて多目的室に出てみた。

そこには同い年の男子一人しかいなかった。

一人だけで、しかも同い年ということで少し不安が消えた

前にも書いたが、こういう施設に来る児童は問題児ばかりだと思っていたので、話してみたら優しそうな子だったので拍子抜けした

あまり詳しくは書かないが、その子自身より家族のほうがあれらしい。

なんだか、まだまだ自分の知らない家庭のかたちはたくさんあるんだな、と子供ながらに思った。

することが一気に増えた。

卓球を職員も含めてみんなでやったり、プラバンを作ったり、刺し子をしたり、たまに勉強を教えてもらったりした。

そうして過ごすうちに初めて私以外に女子が入ってきた。

押される私

2つ下の小学生だったのだが、あきらかに自分のことを同等か、それ以下に見ていたな。

気が弱い自分も悪いのだが、いじめられてしまったのだ。

おそらく、毎日同じような日を送っているのが退屈だったのだろう。

いじめより楽しいことが見つからなかったのかもしれない。

 

  • 職員がいないタイミングで舌打ちや、悪口
  • 寝るときは布団をギリギリまで離す
  • 眠くなるまで舌打ち攻撃

 

当時の私は自殺が頭をよぎるほど、精神が限界に達していた。

今までもそうだったが、相手からの攻撃がエスカレートすることを恐れて、なかなか大人に相談できなかった。

だが、本当に限界だったのだと思う。意を決して職員に相談することにした。

初めての相談

大人を信じていなかった当時の私は、言っても無駄だ。自分の気持ちなんて分からない。という考えばかり持っていた。

相談をした理由は、場所が場所だったからだ。

学校なら家に逃げ場がある。だが、一時保護所内では起きてから寝るまでいじめっ子と一緒にいなければならないのだ。

自分の精神のためにも、一番話しやすい職員にすべてを話した。

職員「わかったよ、じゃあ今から〇〇ちゃんに注意してくるから」

すんなりいった。大人を通すとこんなスムーズに進むのか。と大きな発見だった。

しばらく部屋で待っていると、外から小さい泣き声が聴こえた。

職員から

「〇〇ちゃんが謝りたいって言ってるから聞いてあげて」

本当に驚いた。終わる時は急に来るのだ。

部屋の外に出ると、小学生が泣きながら謝ってきた。

正直されたことを許せる自信はなかったが、表面上は許したことを示していじめは終わった。

その後、1週間ほどで小学生は帰っていった。

期限付き

あとで調べて分かったことだが、一時保護所には原則2か月しか居られないらしい。

2か月が経とうとするある日

職員から別の施設に移ることを聞かされた。

まだ家に帰れないことに絶望した。本当に落ち込んだ。

施設の簡単な資料を見せてもらいながら、頭の中は再び祖父への恨みで充満していた。

どんだけ突き放すのか。自分はいらないのか。

このあたりから急激に自分の存在理由が分からなくなってきてしまった。

 

次に行く施設は児童養護施設なのだが、長くなりそうなので分割して書いていこうと思う。

次はもう少し楽しい感じの内容を書きたいと思っているので、時系列が飛ぶと思う。

 

マイペースに書いていきます。

 

キノくま

児童相談所の経験1

まさか私が施設に?

今回は私の児童相談所経験談を書こうと思う。

私が入所する以前から、弟が短期間の間預かりになることがたまにあった。

当時の私からすると、児童相談所というのは、家庭内で問題行動を起こす子供たちが少しの間生活するところ、という認識だった。

中学二年生の6月、私は絶賛不登校中だった。

理由などはまた今度詳しく書こうと思う。

お昼ごろだったと思う。

突然家の中にチャイムが鳴り響いた。

祖父は仕事、弟は学校だったはずなので家の中には私一人

いつも通り居留守を使うことにした。

だが、しつこくチャイムがなる。そして

「〇〇ちゃん、いますかー?」

と私をご指名。

不気味に思ったがそれも無視。

しばらくすると

「開けますよー」

!?!?!?!?!?!?!?

プチパニックの中、ガチャガチャという音をぼーっと聞いていると、玄関の扉が開く音→廊下を歩く音(複数)→階段を上がる音(この時点でなんとなく悟る)→自分の部屋の扉が開けられる→男女4人くらいの大人が部屋に入ってくる

複数の知らない大人

部屋に入ってきた大人を男A 、男B、女C、女Dとする。

男A「〇〇ちゃんだよね?」

私「・・・(パニック)」

男B「一緒に来てくれないかな。今から荷物まとめられる?」

女C「何か手伝う?」

私「どこにいくんですか」

男A「おじいちゃんが今日からしばらく入院するから一緒に児童相談所に来てほしいんだ」

私(入院?全然聞いてないし・・・ていうか、昨日普通に元気だったじゃん)

私の祖父嫌い

私に祖父への不信感が生まれた。

一日中引きこもっている自分を厄介払いしたいんだ。いつも第三者任せだな。と。

この辺りから少しずつ祖父を恨むようになる。

今思えば自分の人生がうまくいかない理由を、祖父のせいにしがちだったなと思う。

孫に甘くて感情的にならない祖父は、当時の私にとって都合のいいサンドバッグのようなものだった。

今でも攻撃的な言葉がたまに出てしまいそうになるが、当時は容赦がなかった。

車で施設へGO

回らない頭でとりあえず荷物をまとめた。

そして家の前に止めてあった車に乗せられ(運転席に男B、助手席に女C、後部座席の私の隣に女D)出発。

なんだか自暴自棄になっていた。

私の頭の中は祖父への恨み言、当時の文通相手のこと、ハマっていたアメーバピグのことでいっぱいだった。

それ以外はどうでもよくなってしまった。

児童相談所に着くと面会室のようなところで少し待たされた。

弟の迎えで玄関までしか入ったことがなかったので、初めての場所で急に心細くなった

これからの自分の生活に大きな不安を覚えたのは、この時が初めてだったと思う。

 

中での生活のことは長くなりそうなので、次回に書きます。

 

 

キノくま